遠方の同志と意義ある選挙へ。

2004中越元気村テント

突然鳴った携帯から懐かしい声。「草島です」今回の震災の最前線に入ってきた彼から「ありがとう」とカンパへのお礼だった。街頭などで皆さんから集めたカンパがすぐにでも活かされることに、「こちらこそ、ありがとう!」である。
2004年の中越地震の時に彼を頼って被災地に入り、当時も集めてきたカンパを託したのだった。丁度震災から一週間ほど経った小千谷高校で避難生活をしている方々への支援活動が展開されており、彼の音頭で、被災者へのテントを作って配る活動を手伝った。食料は配給されてきていたが、体育館での集団生活によるストレス、車中泊によるエコノミー症候群という難題に被災者の方々が限界を訴えていることを察知した彼が、少しでもプライバシーが保てる空間を提供しようと、全国にネットなどで呼びかけ送られてきたものを提供していたのだ。
現場で何が求められているか、最前線でお金の使い途が決められるからこそ無駄がない。平時でも大切な事だが、被災地では人の生死さえ左右する。

彼は当時から山形県鶴岡市の市議会議員であり、神戸の震災時の救援活動以来重ねてきた経験は伊達じゃない。そんな彼に出会ったのは吉野川可動堰の是非を巡る住民投票が行われていた徳島。お互い可動堰反対の立場から住民投票の成立を期して、現地入りしていた同じ職業、同じ年齢、しかも、無党派で自転車による選挙スタイルと、すぐに理解し合えたのである。
中越の際も、そして今回も、彼は予想通りの動きをしていた。
電話で、最初に入っていた名取市から、最も被害が大きいとも言われる石巻市に入って拠点作りを進めていることを聞き、改めて頭が下がる。被災地の人たちにとってどんなに心強いだろう。
しかも!彼は、この4月の統一地方選挙で県議選に立候補する予定なのだから、その事も大変心配なのである。(他人事ではないのだが・・・)
かたや、原発による電力供給をもっとも享受している首都の権力者が被災を「天罰」と表現し、この非常時のドサクサに選挙の強行を決めた大政党、現職に有利な自粛選挙がまかり通ることを許したくない。
こんな時だから・・・と強い権力を頼って回帰するのか、それとも、市民自ら新しい政治を生み出す転機とできるのか。意義ある選挙にしたい。
覚悟は決まった。